2015年04月14日

羅王☆黒薔薇に出演☆4月15日(水)梅田OPA地下一階!

おはようございます! 羅王です。

ひと月に水曜日2回・梅田OPAにある黒薔薇に出演しています。

黒薔薇B1は月約2回

 

 

 

 

 

11時~21時です。

早めの時間が空いています。

鑑定料金は、10分が千円+消費税の80円です。

 

私が描いた絵です。タイトルは「イモ虫の夢」です。

左側の稚魚は南の海を夢見て居ます。

そして、イモ虫はというと・・・この画面に描かれている絵のすべてが、イモ虫の夢、という絵です。サイズ:24x20cm

ずっと昔(20年以上前)に描いたものでとても稚拙な出来上がりですが、気に入っているので手放せません。

今度似たようなものを描いてみようと思っています。

イモムシの夢800

趣味の水彩画なのですが、なかなかインパクトのあるものが描けません。

まあ、ゆっくりと時間をかけようと思っています。

それでは、運勢を変えたい方、お待ちしています。

占い師☆羅王

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2015年04月07日

占い師☆羅王:今月4月は、8日と15日の水曜日に梅田OPAに出演します。

おはようございます! 羅王です。

暖かくなり桜が満開でとても綺麗でしたが、お花見はしましたか?

残念ながら私が花見酒を飲まないまま急に寒の戻りが来て、せっかくの桜が全部散ってしまいました・・・(x_x;)

そうこうす内に新学期も始まりましたが、気持ちも新たに今年度の計画を立てましょう。

私自身も今年度の抱負を決めましたが・・・内緒です。

あなたは決めましたか?

実現しそうですか?

では、縁のある方、一度お立ち寄り下さい。

今回も私のコラムからひとつ紹介します。

 

 

リューベック

男と女は海と魚? 羅王(^王^)♪

 

(トーマス・マンの生まれ故郷であり、
中世ハンザ都市同盟で栄えた町リューベック)
こんにちは! 羅王です。さて、今日は男と女の関係について書く。言い古されていることかもしれないが
私なりの理解からまず結論を書こう!


男は海で、女は魚だ。
え~逆だろ!という人もいるだろう。確かにそういう関係もある。
そう思う人は男女を入れ替えて読むといいだろう。

私は以前、娘たちが結婚したらその結婚相手に言ってやるつもりでいた
言葉がある。まあ、幸福な結婚なので言うチャンスはなかったが、
それはこうだ。
==============================================
私の娘は美しい魚だ。
だから心の美しい澄んだ海にしか住めない。

私の娘は自然が好きだ。
だから、沢山の自然の恵みのある海を好む。

私の娘は自由が好きだ。
だから、束縛されたり、役割を押し付けられるのは大嫌いだ。

私の娘は出世魚だ。
だから、あらゆる場所を泳ぎまわりドンドン大きくなり、やがて

今の君の海の大きさでは足りなくなる時が来るだろう。
すると娘は閉じ込められたと感じて、別の海を探すかもしれない。
常識に縛られて、我慢してとどまると、病気になるかもしれない。

そのときは、娘をより広い海へと放してやりなさい。

そうでないなら、あなたがその広い海になりなさい。
このより広くなるチャンス、または試練は何度も訪れるだろう。
その都度、問われているのはあなたの海の広さだ。

娘はあなたを愛している。
そして、あなたの海を泳ぎたがっている。
決めるのはあなただ!

++++++++++++++++++++++++++

夫婦関係や恋愛関係でどちらかが浮気をしたとか、
新しいパートナーと再出発したい!と告げられたなどなど、
すべてはこの海と魚の関係を示している。

自分という海を広げるチャンスが来たのだ!!!

さあ、羅王のいつものキーワードを言おう。

そうだ。

世界とはあなたのことだ。

海もその中を泳ぐ魚もあなたを現している。
これを「世界はあなたの鏡だ」と表現する人もいる。
なんと呼ぶのも自由だ。

ただ、やるべきことは近道をしようと遠回りしようと同じだ。

海を広げる。

自分を広げる。

あらゆる人々とその関係性を受け容れ、赦し、祝うことだ。
傷ついて相手を責めたり、責任を求めるあり方は
逆に、海をもっとグッと狭くする方向だ。遠回りだ。
海をもっと窮屈にし、もっと濁らせて、住みにくくするやり方だ。

魚はいつも澄んでいて自然が豊富で自由に泳ぎまわれる海を必要としている。

あなたはパートナーにとって自由な海だろうか?
あなたは相手にとって、澄んだ海だろうか?
あなたは伴侶にとって、笑いと喜びの海だろうか?

無条件で魚を受け容れて、輝く広い海♪

それを、あなたは今ここで選ぶことができる。
世界はあなたに任されているからだ。

私がそれを選ぶように♪

羅王 (^王^)/

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2015年03月17日

占い師☆羅王:今日3月18日(水)に梅田OPAに出演します♪

海を濃く800おはようございます!羅王です。

今日3月18日(水)は、梅田OPA地下一階の「黒薔薇」に出演しています。

11~21時で、いつもの場所です。

今、私の趣味は水彩画です。

これは瀬戸内の「しまなみ海道」沿いの島々を描いたもので、まだ製作途中です、ちょうど海を塗ったところですが、どうも薄い色過ぎて、なんとなく落ち着きませんね。もっと海の色を深くすると全体として落ち着くかな?と考えているところです。薄いブルーの部分はゴムを塗りつけている箇所で、後で剥がして白く残すためのものです。

楽しんでいますか?

私は自分の人生を120%楽しむつもりです!

では、今日も私のエッセイ集からひとつ紹介しておきます。

デキナイことが私らしい

~ デキル事ではなく、デキナイ事が道しるべ ~

 

若い頃の私はかなり傲慢な男だったように思う。

 

勉強が実際よくできたワケでもなく暗くなるまで野や山や海岸で遊びほうけていていつも母に怒られていたが、それでも自分はその気になれば何でも誰よりもデキルはずだと信じていた。

 

高校では3年間毎年生徒会長を務め柔道部や天文部の部長でバンドではギターを弾きボーカルをやっていた。身体も大きく押しも強かったのでどこでも目立ち一目置かれる存在だった。

 

高校を卒業して一旦電鉄会社に就職したが後に大学に入り直しそこを2度卒業するとさらに上を目指した。夢は限りなく広がっていった。要するに私は私にとってのスーパーマンだったのだ

しかし・・・世の中そうは上手くはいかないものである。

 

私は2度大学院の入試を失敗しさすがに落ち込んだ。

当時つきあっていた妻は「向いてないってことじゃないの?」と言った。

 

研究者になる人は子供の頃からそういうタイプなのではないかと。勉強が好きで集中力がありじっくりとよく物を考え長い時間を机の前で過ごしよく本を読む人なのではないかと言う。

 

私とはまるで正反対である。

 

私はそのことを受け入れることができず妻と口論になった。

私のスーパーマン像がガラガラと崩れ去ってしまった瞬間だった。

 

とはいえ、私は私のスーパーマンを失うわけにはいかなかった。

崩れたスーパーマン像の残骸を大事に抱え結婚した妻と共に渡独し性懲りもなくドイツの大学に入学したのだ。それから生活のためにガイドの仕事を始めた。これが実に楽しく私に向いていて収入もビックリするほどよかった。

 

結局私はほとんど机に向かって思考したり研究したりすることもなく、子供の頃と同じように暗くなるまでお客さんと一緒に野山を駆け回って遊ぶような生活をその後20年以上続けたことになる。

 

ドイツ・スイスをガイド・通訳で飛び回っている時代私はどんなに忙しくてもほとんどストレスもなく常にその仕事を楽しむことができた。とても私らしく過ごすことができた時代と言えるだろう。


また、私は長い間「できません」と言うことができなかった。

人は「デキル」ことを目指すべきだし、頑張れば「デキルはず」なのだと信じていたからだ。

 

人は頑張らなければならないのだと。

 

だが、今は「頑張れば」「デキル」ということは、「無理をしなければ」「デキナイ」ことなのだと思う。私が長い間「頑張ればできる」と信じてきたことは、「私にはできません」と言うべきことであったのだと思う。

 

無理をするということは自分らしさを歪める事ではないだろうか。

私は結局私らしさを歪めることはできなかった。

スーパーマンは「幻想」であった。

 

私はようやく40代も後半になってガラクタと化していたスーパーマンの残骸を捨てることができたと同時に「それは私にはできません」と言えるようになったのだ。


ところで、2014年は松たか子の唄う「アナと雪の女王」の挿入歌が流行した。

 

曲のサビ部分は「ありのままの姿見せるのよ」「ありのままの自分になるの」というフレーズで、街中のどこにいても聞くことができた。

 

物語の中で雪の女王は制御できない力を持て余し、もう国の統治などできない!自分は女王という地位にふさわしくないと一人雪山へ去る。

 

「国を完璧に統治する女王」というスーパーウーマンを捨てたのだ。

 

彼女がデキナイ自分を受け容れて、今の自分のままで大丈夫なのだと思えたとき、本物の女王への道を歩み始めたと言えるだろう。

 

どうやら人生はデキル事よりもデキナイ事を道標にした方が、

ありのままでスムーズに進むようだ。

 

羅王☆(^王^)ノ

 

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2015年03月11日

今日、水曜日は梅田OPAに出演し、満員御礼でした♪ ありがとうございます!

こんにちは!羅王です。

梅田OPAへの出演は月に一回、それも第一水曜日。。。とか思っていましたが、当面は第2及び第3水曜日に出演することにしました。一応マヤ暦の一年が終わる7月下旬まではこのままの予定です。

人生は基本何でもありだ・・・とは思っていますので、どんなことを聞いても驚かない羅王ですが、転機はあるものです。まあ、転機のない人生は退屈でしょう?全く挑戦もなく苦労もなく、楽しくもない人生を送るためにわざわざこの地上に姿を現したなどという人は居ないはずです。その意味で課題というか目的があるはずです。それが社会的なものでなくても・・・です。

まあ、難しく考えるのは止めましょう。

ただ思い付いたことを行動に移してみることができるとき、あなたは自分自身のロイヤルロードを歩いています!

羅王は、再び来週の水曜日、3月18日に梅田OPA「黒薔薇」に出演します!

人生の転機かな?という方、ぜひ羅王をお試しあれ!

では、いつものように私のエッセイ集からひとつ紹介します:

コラム:「人生の目覚まし時計」

こんにちは! 羅王です。

今日は「人生の目覚まし時計」の話です。

大抵の人には人生に一度や二度の転換期が来る。
まあ、一度や二度どころか、毎年!

という方もいるかもしれないが・・・^^;)

 
それを私は「人生の目覚まし時計」と呼ぶ。

リンリンリ~~~ン♪と鳴ると、不思議なことに
今まで充実していると思っていた仕事が嫌になったり
満ち足りていると思っていた生活が素晴らしく見えなくなり、
楽しく円満である人間関係にも距離を置きたくなる。

本当は他にするべきことがあるのに、別のことをしているような気がするのです。
親切な上司や同僚にイライラしてストレスが溜まってしまう。
揺るぎないと思っていた愛情も不確かに思えてくる。

そうです。
次のステージに移行するときが来たのです!

目覚まし時計は、あなた自身が予定した体内時計のようなものです。
そのアラームを聞いたら、することがある。
今まで夢中でやってきたことから目を上げて、次へ向かう道しるべを探すのです。

そこにしがみついていてはいけない。
それでは、そこを追い出される被害者としての体験を選ぶことになる。
たとえ後で戻って来るとしても、今は離れるときなのです!

さあ、勇気を持って、顔を上げて道しるべを探そう♪
歩き出すときです。
「オズの魔法使い」でいう、

黄色いレンガの道を行け! と同じです。

私羅王は2004年の冬に妻と一緒に、

北スペインの有名な巡礼路「カミーノ」800kmを40日で歩きました。

そこの道しるべは
ペンキで道や壁に描かれている「黄色い矢印」でした。

気になること。

興味のあること。

好きなこと。

やりたくなったこと。
知り合いから来た話。

テレビで見たこと。

本で読んだこと。

それが黄色い矢印です!

道しるべは探そうとする者には分かりやすく、

すぐに見つかるものです。
立ち止まる者には、先の見えない迷路のように映るでしょう。

怖れることなくドンドン進むのがいい♪

嬉しい知らせがあります!

 
基本的にどの道を通っても

必ず目的地に到着するように出来てます。

これでひと安心です♪

ただ当然のことながら

「近道」と「遠回り」と「遥かなる遠回り」があります。
「正しい道」を探してはいけません! 
 

 

そんなものはない!

あるのは「自分の道」だけです。

だから、最短で楽な道のりが常にいい、というのでもない。
目的地が近づく頃に、ああ、自分らしい道だったなあと思うでしょう。
それで自分自身に100点満点をあげればいいのです♪

そうです。
 

 

私は人生の目覚まし時計が鳴ったとき、

ドイツの中世都市ローテンブルクにいました。
  

それまで全然お金に困ることがなかったのに、

そこからはあらゆるお金の問題と法と税と会社の経営に追われ、

ついに倒産。さらに破産。
 

 

でも、そこでいわゆる精神世界などと呼ばれている、

高次元への扉をくぐりました。

羅王40歳のときでした。

瞑想三昧。

存在からのメッセージ。

至福体験などなど。

 
金もなく冬には外界から閉ざされてしまう古都で、
底の見えない深い世界にのめりこんでいきました。

ただ、私はずっと幼い頃から知っていました。

よく言っていたんです。
「40歳までは遊ぶ」

「40歳までは好きなことをする」
「40歳までは自己投資だけをする」

 

つまり、「40歳になったら・・・本当の私を生き始める」

 

多分そういう計画だったと今ならはっきり分かります。

いや、40という数字が大事なのではありません。

大事なことは、
私が人生の目覚まし時計が鳴る時を、実は知っていた、

ということです。

そ~です!
あなたも知っているのです!
あとは、顔を上げて歩き出すだけです♪

今、あなたに起こっている出来事は、

 
災難が降りかかってきたのではない。
他人があなたをイジメようとしているのではない。
今まで自分の場所だと信じていたところを追い出されるのではない。

出来事は言っているんです。

さあ、目覚めなさい!
そろそろ駅に着きます!
乗り越してしまわないように目を覚ましなさい!・・・と。

そう言って、周りのみんなが
あなたを揺り起こしてくれているんです。

今までそこはあなたの場所だった。
そして、そろそろ

あなたの切符に書かれている駅に到着しようとしています。
今までの場所は・・・

列車の座席に過ぎなかったことが分かるでしょう。

あなたがあなたの人生の目的地に到着するために立てた旅行計画には
もちろん、まだ少しの猶予はあるでしょう。

でも、もう、あまり

ゆっくりしてはいられません。

親切な同乗者たちにだって、彼らの目的地があるのです。
お互いに旅の無事と幸運の挨拶を交わして別れるときです。

そうです。
あなたは状況の被害者ではありません。
道しるべを読み違えているだけ。

その出来事が示す「矢印」は、
今までのあなたも、今のあなたも、何ひとつ否定していない。
ただ、前に進め!と言っている。

出来事を悲しんでも喜んでもいい。

 

素敵でスマートに対処したいなら、

キーワードはシンプルです。

心からの「ありがとう♪」と「さようなら!」だけ。
逆に、不運な出来事だと信じるなら、
あなたは顔を上げて、前を見ることができなくなるでしょう。

 

すると、道しるべを見つけることが困難になります。

準備はできましたか?
そろそろ駅に着くでしょう。
さあ、旅立つ準備をしましょう!

あなたの人生のステージアップなのだから♪

羅王 (^王^)ノ

 

 

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2015年02月03日

おはようございます♪ 4日(水)梅田OPAは:占い師☆羅王です!

さて私羅王はヨーロッパに21年滞在して、約5年前の秋に帰国しました。

故郷は広島県ですが、両親ともを早くに亡くしたので、全然帰郷するつもりはありませんでした。羅王が13歳で父親が他界し、22歳の年に母親が他界しました。

あ、そうか。

「ふるさと」とは母親のことだったんだ!と気付いて以来ずっと放浪人生です。

ずっと同じ会社で働き、ずっと郷里に留まって地域の人々と生きる。文句を言い合いながらでも笑いながら一緒に生きる人生も悪くないな~・・・とドシッと居を構えて生きる人生を横目で見て、ああ、あーいう人生もありかな?とらやましく感じたことは何度かありました。しかし、そう思う反面、決して自分では選ばないだろうとも知っていました。

多分、それが今回の人生で私が選んだ運勢だったのでしょう。

ところで、マヤ暦の還暦は60歳ではなく、52歳です。

マヤ人たちは人生だけではなく、歴史というものは52年周期で繰り返すと考えていたようです。

それらはさらに13年周期に分かれていて、例えば人なら13歳、26歳、39歳、52歳、65歳、78歳、91歳となります。

父は私の13歳の年に他界し、私は26歳で結婚を決め、39歳でドイツの古都で一文無しになり、そして、妻の還暦で帰国しました。おいおい、羅王はマヤ暦で鑑定した方がいいんじゃあないか?・・・とも考えています。羅王はこの1月で戸籍上も54歳になったので、そろそろ新しい運勢(放浪しない人生)を受け入れてもいいかも知れないなぁ~・・・と思う今日この頃です。

そのこととシンクロしているかどうかは分かりませんが、2月の下旬に今住んでいる淀川区を出て、阿倍野区に引っ越します。

新大阪にある「オフィスらおう」も自宅での鑑定になります。果たして羅王は、今回の転機で、さすらい人からドシッと居を構える人になるのでしょうか・・・ね?

最後になりましたが、4日は11時~21時まで梅田OPAのB1の「カフェ・ブラザーズ?」の隣にある「黒薔薇」に出演しています

お待ちしています♪

占い師 ☆ 羅王

ついでに、私のエッセイ・サイトからひとつ紹介します。

カミーノ巡礼者が付けるホタテの貝殻

らくらくテクテク地球を歩く

 

ある日夢を見た。

***

船着場から船が出港しようとしていた。

待ってくれぇ~!と私は走ったが、

船は待たず直前で桟橋を離れてしまった。

 

そこで私は、追い着いてやると!と海に飛び込んだ。

それでも遠ざかる船に対して、今度は筏を組んで追いかけていた。

船はドンドン沖に遠ざかり距離は開くばかりである。

 

視点を転ずると、その桟橋の岸には

寂れた港に不似合いなお洒落なターミナルビルがあった。

 

その2階のカフェにはもう一人の大人の私がいて、

冷たい飲み物を飲みながら遠ざかる筏をサングラス越しに眺めて

「ヤツは元気で懲りないな」と、感想をもらすのである。

***

 

若い頃の私は、物事は無理しても頑張ればできる!

頑張って出来るなら、それは出来る事なんだ、と信じていた。

いやはや、なんとも無理をしていたものである。

 

ところが、2004年の12月妻と二人で北スペインの「カミーノ」と呼ばれる巡礼路800kmを歩いたときは、全く正反対のポリシーを持って臨んだ。それはクリスマスも過ぎて年の瀬も押し迫ったある日、当時住んでいたフランクフルト近郊からの出発だった。

 

カミーノはスペイン語で「道」という意味。

なんでも2千年以上昔から「星の道」と呼ばれ、カトリックの信者だけでなくプロテスタントも王侯貴族も果ては観光客もと古代から中世を通して多くの人々が歩いた有名な巡礼路だ。

 

前半は標高1000mから1500mの山道ばかりである。

それもそのはず。カミーノはフランスとスペインの国境に当たるピレネー山脈から始まっている。

 

モノの本では巡礼日程は40日間がよいと決まっているらしく、単純計算で一日平均20kmを歩くことになる。当時の我々は40歳半ばにさしかかった中年夫婦で、二十歳代に日本アルプスの山を登ったという僅かな経験があるに過ぎなかった。

 

カミーノのために買った二足の登山靴がピカピカ光っていた。

ただ、それでも我々のポリシーは訓練や準備など面倒なことは一切せず、ただ日常生活でいつものスーパーに買い物に行くようにテクテク歩き出そう!というものだった。

 

それで、実際はどうだったかというと、最初のピレネーはストレッチを繰り返したお陰で無事に越えたが、一週間目には食べることも歩くこともできず、ホテルで二日寝続けることになり、次の日もたったの5kmしか歩けず、これは途中でリタイアなのか?と不安がよぎった。

 

しかし、その出来事は一日30kmでも40kmでも歩き続けることのできる身体へと変化するために起ったことなのだと、後になって分かった。逆にそこで寝込まずに頑張り続けるたなら、本当に一歩も歩けない状況となり、リタイアしてしまっていたかもしれなかった。

 

しっかりと休んで身体を入れ替えたせいで、それ以後はずっと氷点下の風の吹く中でも、1500mの凍った道の上であろうと、疲れずに一日30km以上歩き続けることが出来た。結局、多くのことが幸いして800kmをらくらくテクテクと踏破し、ゴールである「サンチャゴ・デ・コンポステラ」に二人して37日目に到着したのだった。

 

最近の私は、無理して何かを成そうなどとは思わない。

 

そもそも無理を押してしか可能でないコトなら、

それは不可能なコトなのだ!と最近は思うようになった。

 

無理をせず、流れに任せることが大事なのだと思う。

そこを「頑張れば出来るハズなのに!」と思うから

出来ない人にイライラするのだ。

 

「頑張ればなんとかなったハズなのに」と自分を責めるから

ストレスが生まれるのだ。

カミーノ800kmを踏破して以来ずっと

私のポリシーは「らくらくテクテク地球を歩く」である。

それで到着できない目的地など存在しない。

もし到達できないなら・・・、

そもそもそこは私のゴールではないのだ!

  

羅王

 

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